現在、日本だけでなく世界中が直面している「気候変動」という巨大な課題。多くの企業や自治体が、温室効果ガス削減などの「緩和」には注力しているものの、すでに避けられない現実として迫りつつある「気候変化への備え(適応)」を、前向きなビジネス機会や地域活性化の種として捉えられているケースはまだ多くありません。
そんな中、「デザイン」の視点からこの複雑な社会課題にアプローチし、データを「未来のライフスタイル」へと翻訳することで、企業の変革を支援しているのが株式会社mctです。今回は、同社のデザインストラテジストである下野史弘氏へのインタビューを通じて、データ活用が地方創生や新規事業創出にどのような「新しい豊かさ」をもたらすのか、その核心に迫りました。

株式会社mct デザインストラテジスト 下野史弘氏
1.「気候変動」をデザインの力で成長戦略に変える
mctは、メソッド(Method)、クリエイティビティ(Creativity)、チームワーク(Teamwork)の頭文字を冠したデザインコンサルティングファームです。同社が気候変動というテーマに注力し始めた背景には、複雑な社会課題に対してデザインの視点から企業の活動を具体化したいという強い想いがありました。
「元々はサステナビリティという大きな概念の中で活動していましたが、多くの企業にとってそれは『排除すべきリスク』や『コスト』と捉えられ、なかなか具体的な一歩につながらない現状を痛感していました。しかし、視点を『気候変動への適応』に移した途端、クライアントから『それならば機会(チャンス)として捉えられそうだ』というポジティブな反応をいただくようになったのです」と下野氏は語ります。
例えば、近年急速に普及したハンディファンや、冷感素材を用いたワークウェア、あるいは猛暑時に自動的に発動する保険などは、生活者が無意識のうちに気候変動に適応しようとしている「兆し(シグナル)」の現れです。下野氏は、こうした微細な変化をビジネスチャンスとして捉え直し、気候変動を「守り」ではなく、社会を新しく作り変える「成長戦略」へと再定義する支援を行っています。
2.3レイヤーのデータを活用し「手触り感」のある未来を描く
mctの提供するサービスにおいて、特筆すべきは多角的なデータ活用手法にあります。彼らは単にひとつの予測データを見るのではなく、以下の3つのレイヤーを統合して分析を行っています。
- 科学的エビデンス: 国立環境研究所等の知見や気候科学の専門家による、将来の気候シナリオや地域ごとの詳細な予測データ。
- 未来のシグナル: 世界各地で発生している、既存の統計にはまだ現れていない生活者のライフスタイルや価値観の微細な変化。
- 気候変動適応の先行事例: 既に極端な気象条件下で生活し、独自の工夫で適応している人々の実体験やインサイト。
下野氏がインタビューの中で強調したのは、科学的エビデンスの「伝え方」の重要性です。 「例えば、たとえ今すぐCO2を劇的に削減できたとしても、温室効果ガスの滞留期間を考えると、今後20年間は気温が下がることはなく、40度を超えるような日々が続くことはほぼ確定しています。この『変わらない未来』という客観的な事実を突きつけられたとき、企業は初めて『去年はどうだったか』という過去の延長ではなく、『20年間続く暑さの中で何ができるか』という思考に切り替わります」
しかし、数字やグラフとしてのデータがあるだけでは、具体的なビジネスは動きません。そこでmctは、デザインの力を用いて「5年後の夏、この地域の生活者はどのような服を着て、どのような移動手段を求め、どのような余暇を過ごしているか」という、手触り感のある未来像を可視化します。科学的な予測データを起点としながら、具体的な生活シーンへと変換し、R&D(研究開発)や商品企画へとつなげていく「橋渡し」の役割こそが、同社の真骨頂と言えるでしょう。
3.地方創生に眠る「気候変動適応」のビジネス機会
この「適応」という考え方は、地方創生においても非常に強力な武器になります。下野氏が注目しているのは、地域ごとに異なる気候リスクを、その土地ならではの資源やライフスタイルへと転換していくプロセスです。
ここで、国立環境研究所の「気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)」が示す「気候変動×地方創生」の視点を見てみましょう。政府の地方創生に向けた基本方針では、地域課題の解決や地域資源の活用が重視されています。また、気候変動適応法においても、地域の実情や特色に応じた適応策の実施が求められており、地域に根ざした取組の重要性が高まっています(出典:国立環境研究所 気候変動適応センター「地方創生×気候変動適応」)。
例えば、農業の分野では、気温上昇によって従来の作物が作れなくなることを嘆くのではなく、いち早く新たな環境に適した作物(例えばミカンからオレンジ、あるいは熱帯果樹へ)への転換を、地域ブランドの再構築や高付加価値化のチャンスとして捉える動きが出ています。
また、観光分野における「クールケーション(涼しい目的地で過ごす休暇)」というトレンドも、日本の地方にとって大きなヒントになります。 「かつての鉱山跡や鍾乳洞といった、天然の涼しさを備えた場所。これまでは見向きもされなかったような資源が、40度を超える日本の夏においては、何物にも代えがたい貴重な観光資源へと変貌する可能性があります」と下野氏は指摘します。
さらに、労働環境の適応も重要なテーマです。 「インドなどの酷暑地では、熱波から労働者を守るためのガイドラインが導入されています。こうした『生活者としての従業員』を守る仕組みやライフスタイルをデザインすることは、『この地域なら安心して働き続けられる』という信頼を生みます。これは、担い手不足に悩む地方にとって、地域コミュニティの持続性を高めるための、極めて現実的かつ魅力的な価値になるはずです」
4.「自分ごと化」が鍵。気候変動リスクをチャンスに導く
現在、mctは、国立環境研究所、環境省等が立ち上げた「気候変動リスク産官学連携ネットワーク」に参画しています。このネットワークは、気候変動リスク情報へのニーズを把握しニーズに沿った情報提供等の情報基盤の充実や気候リスク情報の活用の促進を図る目的で設置され、経営コンサルや損害保険会社などの企業が多く参画しています。
「我々の役割は、気候変動をチャンスと捉えるマインドへの変革を支援することです。データは未来を予測する強力な武器ですが、データそのものが答えを教えてくれるわけではありません。客観的な事実を、「生活者の具体的な生活シーン」へと翻訳するためには、デザインの力による架け橋が不可欠なのです」
実際に下野氏が支援した大手化粧品会社の事例では、気候変動による「季節感の変化」がマーケティング戦略を根底から変えるきっかけとなりました。春や秋が短くなり、夏が長く強くなるという確実な未来予測に基づき、プロモーションの時期や製品ラインナップ、さらには店頭でのコミュニケーションを抜本的に再構築したのです。これは、サステナビリティ部門だけでなく、実務を担うプロダクト部門やR&D部門がデータを「自分ごと」として捉えたからこそ実現した成果です。
おわりに:未来を予測するのではなく、未来を「感じる」ために
データ活用に踏み出せない、あるいは重要性はわかっているが具体的な一歩が踏み出せないビジネスパーソンや自治体担当者に対し、下野氏は「データの背景を捉える」ことの重要性を強く訴えます。
「データをたくさん持っている組織でも、そこに眠るチャンスに気づけていないケースが多くあります。データだけだと、どうしても数字の羅列に見えてしまい、自分たちの生活やビジネスとの繋がりが見えにくいからです。そのデータがどんな文脈から生まれていて、それによって自分たちにどう影響を与えるのか。そこを『見える化』し、感じられる状況にすることで、初めてビジネスや政策は力強く前に進み始めます」
国立環境研究所 A-PLATでは、地方創生の取組を気候変動適応の視点から整理し、地域活性化につながる事例を「地方創生×気候変動適応 実践事例集」として掲載しています。また、全国の都道府県及び複数の市区町村で「地域気候変動適応センター」が設置されており、地域における適応ビジネス創出の基盤づくりが進みつつあります。
気候変動という抗えない波を、ただ恐れるのではなく、新しい豊かさを生み出すためのエネルギーに変えていく。その第一歩は、膨大なデータを「手触り感のある未来のストーリー」へと翻訳しようとする、デザインの視点を持つことから始まるのかもしれません。
【取材協力】株式会社mct
デザインの力で、複雑な社会課題に対する企業の変革や新規事業創出を支援するデザインコンサルティングファーム。国立環境研究所 気候変動適応センターが推進する「#適応しよう」キャンペーンの賛同パートナー。
企業サイト: https://mctinc.jp/

【参考・出典】
国立環境研究所 気候変動適応センター「気候変動×地方創生」
https://adaptation-platform.nies.go.jp/local/chihou-sousei/index.html













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